2026年10月22日のプロ野球ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから3位指名を受けた杉本寛斎(すぎもと・かんさい)選手。
カナダのブリティッシュコロンビア大学でプレーする23歳の選手で、投手として最速158キロ、打者としても優れた長打力を持っています。
「カナダの大谷」と紹介されることもあり、これまでどのような野球人生を歩んできたのか、気になった方もいるのではないでしょうか。
杉本選手は京都府出身ですが、日本の高校野球や大学野球を経験していません。中学校を卒業すると、15歳で単身カナダへ渡り、海外で野球を続けてきました。
しかも、中学時代から注目を集める有名選手だったわけではありません。レギュラーを取れなかった経験を持ちながら、海外で体を鍛え、プロ野球のドラフト上位指名を受けるまでに成長しています。
この記事では、杉本寛斎選手のプロフィールや学歴、カナダ留学を決めた理由を紹介します。さらに、二刀流と呼ばれる実力やDeNAでの今後についても、公式情報と本人の発言をもとに詳しく見ていきます。
- 杉本寛斎選手の年齢・出身地・プロフィール
- 中学校からカナダの高校、海外大学までの経歴
- 15歳でカナダ留学を決めた理由
- 「カナダの大谷」と呼ばれる実力と大学での成績
- DeNAが外野手として3位指名した理由
- プロ入り後の二刀流とチームへの合流予定
杉本寛斎は何者?DeNAがドラフト3位指名した注目選手
杉本寛斎選手は、カナダのブリティッシュコロンビア大学に所属する野球選手です。2026年10月22日、横浜DeNAベイスターズからドラフト3位で指名されました。
高校時代から海外で野球を続けてきたことに加え、投手と野手の両方を経験している点が大きな特徴です。
杉本寛斎のプロフィールと名前の読み方
杉本寛斎選手の読み方は「すぎもと・かんさい」です。
横浜DeNAベイスターズの公式ドラフト情報によると、プロフィールは次のようになっています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 杉本寛斎(すぎもと・かんさい) |
| 英語表記 | Kansai Sugimoto |
| 生年月日 | 2003年7月31日 |
| 年齢 | 23歳(2026年10月現在) |
| 出身地 | 京都府 |
| 身長 | 188センチ |
| 体重 | 105キロ |
| 投打 | 右投げ左打ち |
| 所属大学 | ブリティッシュコロンビア大学 |
| ドラフト順位 | 2026年 DeNA3位 |
| 指名ポジション | 外野手 |
身長と体重は、横浜DeNAベイスターズが公表した数値を掲載しています。一部のスポーツ報道では187センチ、107~108キロと紹介されており、資料によって違いがあります。
なお、スポーツメディア「THE ANSWER」の本人取材によると、「寛斎」という名前には家族の思いが込められています。
「寛」は父親の名前から取り、「斎」は狂言師・野村萬斎さんの名前の響きが由来として紹介されています。
珍しい読み方ですが、名前の由来にも家族とのつながりがあるのですね。
2026年ドラフトでDeNAから3位指名
杉本選手が大きく注目されたのは、2026年10月22日のドラフト会議です。
横浜DeNAベイスターズは、海外の大学でプレーする杉本選手を外野手として3位指名しました。
球団が評価しているのは、恵まれた身体能力と力強い打撃です。将来はチームの中心打者として活躍することが期待されています。
本人はドラフト指名の知らせをカナダで受けました。現地では午前2時を過ぎており、野球部のルームメートと結果を見守っていたそうです。
本人への取材では、3位という上位指名は予想していなかったことも明かしています。
詳しい指名結果は、横浜DeNAベイスターズの2026年ドラフト会議公式発表で確認できます。
杉本寛斎の学歴と経歴|中学卒業後にカナダへ留学

杉本寛斎選手の学歴で特徴的なのは、日本の高校や大学へ進学せず、海外で野球を続けてきたことです。
中学校卒業後にカナダへ留学し、その後はアメリカの短期大学を経て、カナダのブリティッシュコロンビア大学へ編入しています。
小学校・中学校時代は滋賀南郷ボーイズでプレー
杉本選手は京都府で生まれ、小学1年生から野球を始めました。
中学時代は、硬式野球チームの「滋賀南郷ボーイズ」に所属しています。
現在は大きな体格が特徴ですが、中学生の頃は体が小さく、チームのレギュラーを獲得できなかったそうです。
投手や捕手、遊撃手なども経験し、最終的には主に二塁手としてプレーしていました。
高校からの誘いもなく、日本の高校野球へ進むことに不安を感じていたといいます。
その経験が、海外留学を考えるきっかけになりました。
高校はカナダへ留学し現地のクラブチームに所属
杉本選手は中学校を卒業すると、15歳でカナダへ渡りました。
現地の高校に通いながら、野球は地域のクラブチームで続けています。
日本では高校の野球部で甲子園を目指す選手が多い一方、杉本選手は海外のクラブチームで経験を積む道を選びました。
今回確認した球団公式資料と大学の選手紹介では、在籍した高校の正式名称までは確認できませんでした。
ただし、中学校卒業後にカナダの高校へ留学し、現地で野球を続けていたことは、本人への取材記事で確認できます。
高校卒業後はアメリカのヤバパイカレッジへ進学
カナダの高校を卒業した杉本選手は、アメリカ・アリゾナ州にあるヤバパイカレッジへ進学しました。
ヤバパイカレッジは、アメリカの短期大学にあたる教育機関です。
高校時代に投手として大きく成長した杉本選手は、同校からスカウトされ、進学することになりました。
大学では主に投手としてプレーし、チームの中心となって登板する経験を積んでいます。
日本の高校から国内大学へ進むのではなく、カナダの高校からアメリカの短期大学へ進学した点も、杉本選手の特徴的な経歴です。
ブリティッシュコロンビア大学へ編入
その後、杉本選手はカナダのブリティッシュコロンビア大学へ編入しました。
同大学は、カナダのブリティッシュコロンビア州にある大学です。野球部は北米の大学野球リーグで活動しています。
大学の公式選手名簿にも、杉本選手の名前が「Kansai Sugimoto」として掲載されています。
また、以前の所属校としてヤバパイカレッジが記載されており、海外での進学経歴を確認できます。
本人への取材によると、大学では心理学を学んでいます。
野球だけに集中しているわけではなく、授業や試験にも取り組みながら競技を続けているそうです。
海外での学歴や大学生活については、ブリティッシュコロンビア大学の選手公式プロフィールにも情報が掲載されています。
杉本寛斎はなぜカナダへ留学した?15歳で決断した理由
杉本寛斎選手がカナダへ留学した理由は、プロ野球選手になる夢を諦めたくなかったからです。
中学生の頃は体が小さく、日本の高校野球で活躍できるか不安を感じていました。そこで、新しい環境で成長する道を探したのです。
中学3年生の体験留学が転機になった
転機が訪れたのは、中学3年生の秋でした。
杉本選手は、カナダで1週間野球を体験できる留学プログラムの広告を見つけます。
実際に参加してみると、日本とは異なる野球環境に触れることができました。
当時の杉本選手は、体が大きくなるまで成長を待てる環境が、自分に合っていると感じたそうです。
帰国後は両親にカナダ留学を希望し、中学校卒業後に単身で海外へ渡ることになりました。
もともと海外で暮らしていたわけではありません。プロ野球選手になるという目標に向かって、自分で新しい進路を選んだのです。
言葉が通じず、生活面でも苦労した留学生活
カナダへ渡った当初の生活は、順調なことばかりではありませんでした。
杉本選手は英語が十分に話せず、現地での生活に苦労したそうです。
本人への取材では、ホストファミリーとの生活で食事が極端に少なかった経験も語られています。
食事が食パン1枚だったこともあり、慣れない環境で孤独を感じる日々が続きました。
留学費用を負担してくれた両親への思いもあり、簡単に帰国することは考えられなかったようです。
言葉の壁を乗り越え、チームメートとの関係を築くためにも、野球の上達が大きな支えになりました。
こうした留学当時の経験は、THE ANSWERによる杉本寛斎選手の本人取材で詳しく紹介されています。
高校時代の筋力トレーニングで球速が大きく伸びた
杉本選手の体が大きく変わるきっかけになったのは、2020年の新型コロナウイルス感染拡大でした。
野球の活動が制限された期間を利用し、筋力トレーニングに取り組んだそうです。
その後、体格が成長するとともに、投手としての能力も伸びていきました。
本人への取材によると、カナダの高校3年生から本格的に投手を始め、当初136キロだった球速は、卒業する頃には152キロに達しました。
高校卒業後もトレーニングを続け、現在は最速158キロを記録するまでになっています。
中学時代は体が小さく、レギュラーにもなれなかった選手が、海外での成長を経てプロのドラフト候補になったのです。
杉本寛斎が「カナダの大谷」と呼ばれる理由は?

杉本寛斎選手が「カナダの大谷」と呼ばれるのは、投手と打者の両方で高い能力を持っているためです。
大谷翔平選手と同じく、投げることと打つことの両方に挑戦してきた経歴から、この呼び名が使われています。
ただし、大谷選手と同じ実績を残しているという意味ではありません。
投手として最速158キロを記録
杉本選手は、投手として最速158キロを記録しています。
球種はストレートのほか、カーブ、カットボール、スプリットなどが本人取材で紹介されています。
参考にしている投手の一人は、メジャーリーグでも活躍する千賀滉大選手です。
一方、大学での公式成績を見ると、2025~2026年シーズンは投手としての登板機会が限られていました。
ブリティッシュコロンビア大学の公式記録では、2試合に登板し、投球回数は3回、防御率は6.00となっています。
つまり、最速158キロという球速の高さと、大学で投手として積み重ねた実戦成績は分けて考える必要があります。
球速だけでなく、今後どのように投球技術を伸ばしていくのかも注目したいところです。
打者として打率3割3分5厘を記録
杉本選手は投手だけでなく、打者としても大学で結果を残しています。
ブリティッシュコロンビア大学の2025~2026年シーズンの公式成績は、次のとおりです。
| 項目 | 成績 |
|---|---|
| 出場試合 | 51試合 |
| 打率 | .335 |
| 安打 | 62本 |
| 本塁打 | 3本 |
| 打点 | 34打点 |
| 盗塁 | 16個 |
| 出塁率 | .431 |
| 長打率 | .427 |
| OPS | .858 |
OPSとは、出塁率と長打率を足した数字です。塁に出る力と、長打を打つ力を合わせて評価する際に使われます。
杉本選手は51試合で打率.335を記録し、16個の盗塁も決めています。
体格を生かした打撃に加え、走塁でも結果を残していることがわかります。
本人への取材では、打球速度が170キロを超えることも紹介されています。
これらの数字を見ると、杉本選手の魅力は力強い打撃だけではないことが伝わってきます。
大学での詳しい成績は、ブリティッシュコロンビア大学野球部の公式成績で確認できます。
なぜ投手と野手の両方に挑戦しているのか
杉本選手は、もともと投手と野手の両方を本格的に続けていたわけではありません。
アメリカの短期大学では主に投手として活動していました。
その後、帰国時にプレーを見たプロ野球関係者から、打撃にも挑戦してみるよう助言を受けたことが転機になりました。
ブリティッシュコロンビア大学では、2025~2026年シーズンに野手として本格的に再挑戦しています。
その結果、打率3割を超える成績を残し、投手以外の可能性も広がりました。
本人は大谷翔平選手に憧れを持っており、投手と打者の両方に挑戦したいという思いを語っています。
ただし、プロ野球で二刀流を続けることについては、球団との話し合いが必要になります。
DeNAは杉本寛斎をなぜ外野手として指名した?
横浜DeNAベイスターズは、杉本寛斎選手を外野手としてドラフト3位指名しました。
最速158キロの投手として注目されていた一方で、球団は打撃力と身体能力を高く評価しています。
球団が評価したのは打撃と身体能力
横浜DeNAベイスターズの公式ドラフト情報では、杉本選手のスピードとパワーが評価されています。
特に注目されているのは、力強い打撃と、150キロを超える球を投げられる肩の強さです。
球団は、将来的に中心打者として活躍できる外野手への成長を期待しています。
日刊スポーツの報道によると、球団幹部は、野手としての経験がまだ浅い一方、飛距離を出せる力や身体能力を評価したと説明しています。
大学では投手としての経験も積んできましたが、DeNAは野手としての将来性に注目したことになります。
球団による評価は、横浜DeNAベイスターズの2026年ドラフト選手紹介で確認できます。
DeNAでも二刀流を続けるのか
杉本選手本人は、プロ入り後も二刀流へ挑戦したい気持ちを持っています。
しかし、2026年10月23日時点で、DeNAが二刀流で起用することを正式に決めたという発表は確認できません。
10月22日の本人取材では、まず長打力を生かした打撃でファンの期待に応えたいという思いを語っています。
その一方で、球団との話し合いの中で機会があれば、二刀流にも挑戦したいという考えを示しました。
つまり、現在わかっているのは、球団が外野手として指名したことと、本人が二刀流への希望を持っていることです。
投手として登板する機会が与えられるかどうかは、今後の球団方針によって決まることになります。
杉本寛斎はいつDeNAに合流する?2027年の予定
杉本寛斎選手がDeNAに合流する時期は、大学卒業後になる見通しです。
本人への取材では、2027年4月末から5月上旬に大学を卒業する予定とされています。
2027年の春季キャンプには参加する?
杉本選手は2026年10月現在、ブリティッシュコロンビア大学に在学しています。
2027年1月には大学の新しい野球シーズンが始まる予定で、卒業に向けた学業も続きます。
日刊スポーツによると、DeNA球団幹部は大学卒業時期を考慮し、春季キャンプからの合流は難しいという認識を示しています。
そのため、2027年2月の春季キャンプからチームに加わることを前提とした指名ではありません。
大学を卒業したあと、どのような日程でチームへ合流するのかが注目されます。
ドラフト指名後の入団状況は?
2026年10月22日のドラフト会議で、DeNAは杉本選手との交渉権を獲得しました。
杉本選手も、指名後の本人取材で入団する意思を示しています。
ただし、ドラフト指名と正式な入団契約は別の手続きです。
10月23日時点で確認できる球団公式情報では、杉本選手との仮契約成立までは発表されていません。
今後は球団との交渉や大学卒業などを経て、プロ野球選手として活動する準備が進むことになります。
特に注目したいのは、外野手としてどのような育成を受けるのか、そして二刀流への挑戦が実現するのかという点です。
まとめ|杉本寛斎は海外で成長した異色のドラフト3位指名選手
杉本寛斎選手は、2026年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから3位指名を受けた23歳の野球選手です。
京都府で生まれ、小学1年生から野球を始めました。中学時代は滋賀南郷ボーイズに所属していましたが、当時は体が小さく、レギュラーを獲得できない経験もしています。
その後、中学3年生の体験留学をきっかけに、カナダで野球を続けることを決断しました。
15歳で単身海外へ渡ったものの、当初は英語が十分に話せず、生活面でも多くの苦労があったそうです。
それでも野球を続け、高校時代には筋力トレーニングによって体格と球速が大きく成長しました。
高校卒業後はアメリカのヤバパイカレッジへ進学し、その後はカナダのブリティッシュコロンビア大学へ編入しています。
大学では投手として最速158キロを記録する一方、野手としても打率.335、3本塁打、34打点、16盗塁という成績を残しました。
投手と打者の両方に挑戦してきた経歴から「カナダの大谷」と呼ばれていますが、DeNAは外野手として指名しています。
本人は二刀流への希望を持っているものの、プロ入り後に両方のポジションでプレーするかどうかは、まだ決まっていません。
また、大学卒業は2027年4月末から5月上旬になる予定です。実際にDeNAへ合流する時期についても、今後の発表を確認する必要があります。
中学時代にレギュラーを取れなかった少年が、海外留学を通じて成長し、日本のプロ野球から上位指名を受けるまでになりました。
その歩みを知ると、杉本選手がなぜ注目されているのかが見えてきます。
これからは、DeNAとの契約やチームへの合流、そしてプロの舞台でどのような選手に成長していくのかに注目が集まりそうです。
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